INDEX

● 冒険者のはじめかた  ●

 いかなる偉大な英雄にさえ、初心者の時代はあるというもの。

 彼の名は、コウキという。ヴァナ・ディールで最もその人口が多いと言われるヒューム族の青年…と少年の中間に位置するくらいの男である。生まれてからこの方、マウラの町から離れた事はほとんどない。
 彼の父親は、マウラでも数少ない漁師であったらしい。らしい、と言うのは、コウキ自身ほとんど父の記憶がないからだ。父はまだコウキが一歳程の頃に亡くなった。その日、彼は妻(コウキの母だ)と幼い息子を残して、いつものように漁に出かけた。海はよく凪いでいて、漁には申し分ないように見えたからだ。だが、父が出港して程なく、海を熟知した人間でさえ予測もつかないような早さで、海は大嵐に飲み込まれた。そして父は二度と帰って来なかった。
 幼い我が子と二人残された母は、しかし一つも悲痛な表情を見せることなく、女手一つでコウキを育て上げた。もともと気丈な人なのだ。彼女はマウラで一軒しかない宿屋で、掃除や洗濯などの雑用を引き受けて働いている。持ち前の気風のよさで、宿の利用者や同僚にも好かれているらしい。
 一方、コウキの方はと言うと、働ける年齢になるとすぐさま母から働き口を「押しつけられた」。それもまだ三、四年ほど前のことでしかないのだが。母がほとんど強引にコウキに持ってきた仕事は、マウラにやって来る機船の積荷の揚げ下ろしであった。セルビナからやって来る船には、クォン大陸から積み込まれた大小様々な荷物も積まれている。コウキたちの仕事は、船が入港したらすぐさまそういった荷物を船から運び出すこと、そして逆にミンダルシアからクォンへ運ばなければならない荷物を素早く船に積み込むこと。うかうかしていたら、出港の時間になってしまう。スピードが要求される業種に、コウキの若さが必要だったのだ。
 とは言え、正直この仕事は、年々下火になる一方であった。ジュノから各大都市へ就航した飛空艇は、旅客と共に貨物運送も機船から客を奪っていったのだ。コウキが就職した頃は既に、主要な仕事は飛空艇が持っていってしまった後だったから、彼は仕事仲間と一緒に、船がやって来るまでぼんやりとしながら過ごすことが多かった。
 そうしてぼんやりしながら船を待つうちに、彼は新しい客層が機船にいる事に気が付いた。既に世界中に名を轟かせ始めていた冒険者という人種だ。コウキが働き出す前から彼らはいた。その頃はまだ、装備も心許なく、見るからに駆け出しの者が多いように見えた。彼らは機船を使ってマウラからセルビナへ、セルビナからマウラへと渡って行くのだ。しかし、最近はすっかり様子が違う。熟練者が増えた今では、機船の乗客は再び減り始め、たまに混じる初心者とともに、熟練者が何のためなのか乗り込んで来る程度であった。
 船を待ちながら、コウキは彼らの一人と雑談を交わした事が何度かある。お客さん、見たところえらく強そうだけど、一体何のために船に乗るんですか?すると、見るからに熟練の冒険者は少し笑って、
「これだよ。釣りさ」
と、携帯していた釣竿を見せた。へええ、今どき釣りなんかのために船に乗るのか。冒険者ってのは、気楽な職業なんだな。コウキの考えはどこか間違っているのだが、生憎それを正してやる者は誰もいなかった。
 彼が港で働くうち、そういった冒険者を何人も見かけるようになった。コウキが見るところ、彼らは一様に余裕と自信を持っていて、身なりも立派な者たちだった。あるものは仕立ての良いローブをまとい、あるものは輝く鎧を身に付けていた。また、中にはずっと身軽ないでたちで、船を待つ間にも、海に向かって釣糸を垂れている者もいた。しかしそういう者にも、強者の持つオーラのようなものが見える気がした。

 冒険者っていうのも悪くないかもな。いや、ここで働くよりずっといいかもしれない。

 コウキはいつしかそんな考えに捕われるようになった。大体、今の仕事は力を使うばかりで刺激がない。その割には給料も安い。しかも暇すぎて退屈だ。一方冒険者は、毎日が刺激的で、マウラに来る者を見る限り結構儲かるような気がする。そうだ、この田舎で燻っているよりは、冒険者として世界中を飛び回った方が人生楽しいに決まってる。何よりオレはまだ若いんだぜ?
 一旦決意してしまうと、もう積み荷の仕事にやる気はなくなった。そもそもコウキは飽きっぽい性格なのだ。そして、熟考することを知らない彼は、ほどなくして母にその決意を打ち明け、今の仕事をやめて冒険者になる許しを請うた。
「はあ?冒険者?この子は何の寝言を言ってるんだろうね?お前なんかにゃ冒険は無理だ。分かったんならさっさと仕事に行って来な!」
…結局母からもらったのは許可でなく、投げつけられた弁当のみであった。
 それでもコウキはめげない。相変わらず船の待ち時間に冒険者を見かける度に、彼の中の冒険者への憧れはいや増すばかり。いいよなぁ…あいつらはどうやって冒険者になったんだろう?オレも冒険者になるんだ!
 それから、彼はほとんど毎日母と同じ問答を繰り返した。
「母ちゃん、オレ冒険者になりたいんだよ。ねえ、頼むよ、冒険者になってもいいだろ?」
「何回も言わすんじゃないよ。弱虫で飽きっぽいお前が、どうやって冒険者として食って行く気なんだい?アホな事ばかり言ってないで、ちゃんと仕事に集中しな!」
それでも彼は毎日のように母に食い下がった。母はそれでも息子の嘆願を一蹴するのみであった。そんな毎日が過ぎて行き、コウキはやがて一つの決意をするに到った。
―――母ちゃんが許してくれなくても、オレは冒険者になろう。
 彼は母に内緒で、仕事の関係で知り合いになった商人と話をしてみた。その商人はマウラから下ろされた荷物を、人手とチョコボを使ってウィンダスの都まで運び、それを聖都で売りさばくのが仕事だった。コウキが地に頭を擦りつけんばかりに頼み込むと、商人は彼の申し出を引き受けてくれた。即ち、コウキが商人の手伝いとして荷運びをする代わりに、彼を聖都まで連れていってくれると言うのだ。コウキは小躍りせんばかりに喜んだ。後は、仕事の上司に辞表を提出して…母を何とかせねばならない。

 その日、コウキはこっそりと上司に辞表を提出した。上司は少し残念そうな顔をしながらも、しかし彼を引き留めはしなかった。若者一人が辞めたところで、この業種は困らないほど仕事の量が減っていたからだった。
 後は、最大の難関である、自分の母だ。コウキは最後のお願いをすることにした。もし母がそれを許さずとも、明日の朝には黙ってウィンダスへ出発する。コウキは(彼にとっては)悲壮な決意を胸に、再び母と対峙した。
「母ちゃん、オレ決めたよ。冒険者になる。絶対絶対なりたいんだ。もし母ちゃんが止めたとしても、もう無駄だよ」
母は我が子の顔をまじまじと見つめていたが、
「……そうかい。分かった。飽きっぽいお前がここまで言うんだ。冒険者でも何でもなったらいい」
意外な反応に、逆にコウキはぽかんと口を開けて何も言えなくなってしまった。
「お前、仕事も辞めて来たんだろ?聞いたよ。お前の決意がそこまで硬いんなら、もう母ちゃんは止め立てはしない」
にんまりと笑いかけた息子に、母は最後の釘をぴしゃりと刺した。
「ただし!案の定お前が挫折しようがどうしようが、母ちゃんが知ったこっちゃないからね!落とし前はテメェで付けるんだよ!」
 その釘は、あまり彼女の息子には功を奏さなかった。コウキはすっかり舞い上がり、いそいそと、そして公然と出発の支度を進めた。大丈夫大丈夫、心配ないって。そのうち冒険者として成功して、母ちゃんにも楽な暮らしをさせてやっからさ。マウラに住む友達みんなに旅立ちを喧伝し、粗末な旅仕度を整えて、彼は興奮さめやらぬまま床についた。

 眠れぬままに、彼は朝を迎えた。約束しておいた商人のキャラバンは既に支度を整えていた。彼もチョコボに荷物をくくり付ける手伝いをし、自らも担当分の重たい荷物を背負った。しかし、護衛も用意していたキャラバンでの旅は安全が約束されていた。コウキは不安もそこそこに、弾む胸を抱えてマウラを旅立っていった。

 マウラからウィンダスへの旅は、特筆すべきことはほとんどない。キャラバンに守られつつ、彼は数日後、晴れて魔法大国ウィンダスの都を目にすることが出来た。商人との約束は、都の入口までだった。そこで背負って来た荷物を下ろし、商人へと引き渡す。お世話になりましたと頭を下げるコウキに、商人は親切にもこんな事を教えてくれた。
「君は冒険者になるんだったね。私も詳しくはないが、確か冒険者は国に正式な登録をせねばならなかったはずだ。ウィンダスでは、石の区にある天の塔がそんな登録を受け付けていると聞いたことがある。冒険者になるんだったら、まずはそこに行ってみたらどうだね?」
はい、そうしてみます。本当にありがとうございました。彼は何度もぺこぺこと頭を下げ、商人とそのキャラバンに別れを告げた。

 彼がウィンダスの都に来たのは、これが初めてだった。率直に言えば、彼はウィンダスを少々甘く見ていたようだ。基礎知識として、ウィンダスに住んでいるのはほとんどがタルタル族で、残りの大部分がミスラ族という事は彼でも知っている。タルタル族といえば成人してもヒューム族の子ども程度の小柄な種族だし、ミスラ族も平均的なヒューム女性よりやや小柄な人物がほとんどだ。だからコウキは、いくら都と言えども小さな街しか想像していなかったのだ。確かにマウラよりは大きな街だろうが、それにしてもたかが知れている、と。
 彼の想像は軽く裏切られた。
 この、世界でも有数の学術研究都市は、それを築いたタルタル達の体格からは想像も出来ないほど巨大で広大な都市に発展していたのだ。中央には宗教的シンボルでもあり国家的な象徴でもある「星の大樹」がそびえ、飛空艇が行き来する港、タルタル達の高級住宅地、ミスラ達の自治区、商店や各職能ギルドまで。初めて訪れた者はまず間違いなくその広大さに戸惑うだろう。二十年前の戦争の傷痕はそこかしこに窺えるものの、ウィンダスはヴァナ・ディール中でも屈指の巨大都市へと復興を果たしていた。
 商人から親切に「天の塔」という名前は教えてもらったものの、どう行けばそこに着くのか分からない。道行く人を捕まえては道を教えてもらったが、コウキは何度も道を間違え、ようやく天の塔へたどり着けたのは日も高くなってからの事だった。
 「でっけぇ…」
ようやくたどり着いた石の区で、コウキは思わず呟いた。
 青空に届きそうな勢いでそびえ立つ巨大な樹。人から「星の大樹は船に乗っていても見える」と聞いたことはあったが、なるほどこれならどこにいても見えるだろう。さらに驚いたのは、その大樹は天の塔をまるまる一つ抱えこんでいる事だった。まるで、成長する途中で塔をまるごと飲み込んでしまったかのように。だから、入口は大樹の根元の一角にあった。入口には一応、タルタルで構成されたガード数人が立っていたが、特に咎められることなく塔の中へ入ることが出来た。一階と地下は誰でも見学できるように、との配慮なのだそうだ。
 一歩入ると、中は意外とひんやりしていた。見学者らしき人が何人か辺りをうろうろしている。その誰もが派手な物音を立てたりせず、ただ中央の噴水の音だけが辺りに谺する。コウキもその雰囲気に呑まれ、足音を立てるのも遠慮した。石畳の内部はほの暗く、壁には星の大樹の太い根が幾筋もはい回っていた。
 肝心の冒険者登録の受付は、さすがにコウキでも一目で分かった。広いホールには扉が一つしかなかったからだ。おずおずと中に入ると、長いカウンターに何人か役人らしきタルタルが座っているのが見えた。
「あの…冒険者になりに来たんスけど…」
彼の声に、白いクロークを着たタルタルが顔を上げた。
「ええっと、ウィンダスへの移籍ですか?それとも新規の方?」
「し、新規です」
コウキの答えにクロークのタルタルがくるっと首だけを後ろに向けて、カウンターの向こうに呼びかけた。
「新規登録の方でーす!」
 その声に、奥の方に座って本を読んでいた別のタルタルが、よいしょっとばかりに腰を上げた。こちらも白いクロークを着ている。タルタルの実年齢は外見からは窺えないが、何となく結構なお年なのだろうとコウキはぼんやり思った。
「はいはいご新規さんね。えーっと…書類は…」
カウンターの下に潜り込んで、何やらごそごそと探している様子のご年配タルタル。
「新規さんに渡す地図はどこだったかね」
「それなら、その隣に…あ、これですこれです」
最初のクロークタルとそんなやり取りをした後、新規担当と思しき人物はようやく顔を上げてコウキの顔を見据えた。子供にしか見えないその顔には、ちょこんと丸眼鏡が乗っかっている。
「ええーと、移籍じゃないですね?新規ですね?移籍受付と新規受付は担当が違うもんでね」
「は、はいっ」
目の前に羊皮紙を広げ、羽ペンを構える担当者。
「では、まずお名前から窺いましょうかね。お名前は?」
「こ、コウキっす」
「コウキ…っと」
「しゅ、出身はマウラで…」
「ああ、出身地はいいですよ。どこの出身であろうと問わないことになっておりますんでね」
さらさらと羽ペンを動かし、羊皮紙に目を落としたまま、さらに担当者が問うた。
「えーと…種族と性別は、ヒュームの男性で間違いないですかな?」
「は、はい…」
それ以外の何に見えるんだ、と内心思いつつ、さすがにそれは言えなかった。
「と、歳は…」
「ああ、年齢もいらないですよ」
とコウキを制止してから、相変わらず視線は羊皮紙のままで担当者が思いがけない質問を飛ばす。
「では、初期登録のジョブは?」
「じょ、ジョブ?…って何スか?」
そこでようやく年配タルタルが再び顔を上げた。「なぜこの人はこんなことを知らないのだろう?」という面持ちで、
「つまり、職業のことですよ」
「あ、それなら冒険者…」
「いやいや」
苦笑しつつ、彼は何も知らない初心者の前で手を振った。
「そうじゃなくて、戦士とか黒魔道士とか、いろいろあるでしょう。一応、ジョブを登録してもらうことになってますんでね。もちろん、後から自由に変えてもらっても構いませんよ。でも、支給品の関係でね」
 ここに来て、コウキは考え込んでしまった。彼の認識の中では、冒険者は冒険者で、さらに細かくジョブ、つまり職業に分かれているなど思いも寄らなかったのだ。せいぜい大雑把に分けて、剣を持って戦う人か、魔道士か、くらいの考えだったのだ。
「じょ、ジョブには一体何があるんスか?」
「そうですねえ…」
担当者はぐるりと天井を見渡して、
「新規で登録される方は大体、戦士、モンク、シーフ、白魔道士に黒魔道士、あとは赤魔道士のどれかで登録されますなぁ。他にもナイトとか吟遊詩人とかいろいろあるみたいですが、今言った六つ以外はどれもある程度経験を積まないと難しいようですからなぁ…」
コウキは頭を抱えこんでしまった。どうする?まず、魔法を操る魔道士系はパスだ。頭脳労働が必要な(と、彼が思い込んでいる)ものはおそらく無理だ。だとすれば、あと三つ。ええと何だっけ…。
「せ、戦士で!」
とっさに彼は叫んだ。名前から一番分かりやすいジョブに、というのがその理由だ。
「はいはい、戦士ね」
さらさらと羊皮紙に書き込むと、今度はよいしょっと椅子から降りて奥へ向かう担当者タルタル。奥の戸棚から何か長細いものを引っ張り出すと、いかにもそれを重そうにカウンターに置いた。
「これは戦士の方への支給品ですよ」
それは、一振りの片手持ちの剣だった。…もっとも、あまり切れ味がよさそうには見えないが。
「それと、これが地図一式。聖都と、サルタバルタ、それからコルシュシュのもだったかね?」
傍らのタルタルに視線を動かすと、彼は肯定するように頷いていた。
「…まあ、とにかく都周辺の地図。それからこれは冒険者優待券」
「優待券?」
「そう、新規で冒険者を始める方へのチケットですよ。これを担当のカーディアンに渡せば、少額ですが資金をお渡しするようになってます」
やった!「資金」という言葉を聞いて、心の中でガッツポーズを取るコウキ。続けて担当者がカーディアンの名前と居場所を教えてくれたが、ほとんど頭に入らなかった。
 「さて、これで冒険者としての新規登録は終わりですよ。あなたに星月の加護があるといいですな」
コウキが支給品一式を受け取ったのを見ると、相手はさっさと奥へ引っ込んでしまった。読みかけの本をまた開いている。「…暇なんだな」とコウキはちらりと考えた。

 当然のように、その後優待券を受け取ってくれるカーディアンを探すのにまた一苦労。何せこの動くカカシはウィンダスのあちこちに大勢いて、どれがどれなのか判別しかねるのだった。ようやく件のカーディアンを見付け、優待券を渡し、もらえたギルのあまりの少なさ(たったの50ギル)にがっかりし、今度は冒険者にもれなく貸与されるモグハウスの自室にたどり着いた時には、コウキはすっかり疲れ果てていた。
「ご主人様、顔色が悪いクポ〜」
そうそう、倒れ込んでいる彼の頭上を騒々しく飛び回る白い生き物は「モーグリ」というらしい。モーグリの事は彼も何度か聞いたことはあったが、何でも冒険者一人につき一匹(?)、このモーグリがお付きでモグハウスの管理をやってくれるのだという。
「金庫でお荷物の整理もやるクポ!ご主人様、片付けやらなさそうなタイプクポ〜」
余計なお世話だ。疲れて言い返す気力も湧かなかったが。
「ねえ、ここ…ベッドとかないの?」
コウキに割り当てられた部屋は、正面に常にさらさらと音を立てて流れる噴水と、床のカーペット、それに天井の灯りしかない殺風景な部屋だった。
「借りたそのままじゃ、家具類は何にもないクポよ?代わりに、自国のモグハウスには、常識の範囲内で自由に家具が置けるクポ!他国で借りるレンタルハウスには備え付けの家具があるけど、代わりに自分で家具は置けない決まりになってるクポ〜」
つまり、床でごろ寝しろってことか。彼はちょっと泣きたくなって来た。結局、そのまま寝るのも気の毒だ、ということでモーグリが気を利かせて毛布を持ってきてくれた。その毛布にくるまって、その日は床で寝ることにした。

 次の日から、コウキの冒険者生活が始まった。初日から彼は、自分の見込みが甘いということを嫌というほど思い知らされる羽目になった。道も覚えぬ都でうろうろし、ようやく見付けた商店で品物の値段に溜息をつく。財布にはあまりに心許ない金額しかなかった。ようやく都の外に出て、サルタバルタの広大な平野を駆けずりまわってみるも、彼の実力では野兎やマンドラゴラ程度の弱いモンスターにしか歯が立たない。それらのモンスターから得られる戦利品も、泣けるほど安く店に買い取られ(彼はまだ競売の存在に思い至ってなかった)食費がぎりぎり稼げるかどうか。彼の鞄の中には、出発の日に母がこっそり入れていれていた保存食の弁当があったのだが、それも数日で平らげてしまった。
 ただ、冒険者になって初めて分かったこともある。一つは、冒険者と見ると街の人が頼み事をしてくること、それを無事にこなすとお礼に金品をわずかながらくれること。そして、マウラにいた時にはただの冒険者の道楽だとばかり思っていた釣りが、実は結構な稼ぎぶちであることだった。もっとも、釣りで稼ぐにはそれなりの腕前が必要で、コウキのヘタクソな釣りでは餌代が出るか出ないかしか儲からなかったが。
 ウィンダスにはコウキと同じような初心者らしい冒険者の姿も見られたが、よく熟練者らしき者の姿も見る。そんな冒険者の横をすれ違う度、彼は溜息をついた。正直、既に冒険者を廃業してマウラに帰りたい気持ちでいっぱいだった。故郷には母がいて、とりあえず食事や身の回りの世話は何とかしてくれる。それに、積み荷降ろしの同僚や友達が待っている。
「今帰ったら、母ちゃんキレるだろなぁ…。大口叩いて出て来たもんな」
未だにウィンダスでの顔見知りも出来ず、モグハウスで一人悲しみにくれるコウキであった。

 それでもどうにか数週間が過ぎた。相変わらず財布の中身は毎日綱渡り状態である。その日も、やたら軽い財布と空腹を抱え、コウキは一人ウィンダスの街を歩いていた。
 一昨日から今日まで、ほとんどロクなものを口にしていない。試しにモグハウスの噴水の水を飲もうとしたら、慌ててモーグリに止められたりした。
「ご主人様、その水は飲料用じゃないクポ〜!飲んだらお腹をこわすクポ!」
とりあえず雑貨屋で買った蒸留水は飲んでいるが、この二日間で口にしたのはパン数切れだった。実は、三日前に武器を新調したばかりだったのだ。支給品の片手剣はすこぶる切れ味が悪く、情けないほど敵に通用しなかった。そこで、思い切って港の武器屋で新しい剣を買ったのだ。それでもあまりいい品ではないが、あの支給品よりはずっとましであろう。…本当なら、すぐそばの防具屋で革鎧もそろえたかったのだが、財布がそれを許してくれなかった。
 そういうわけで、彼はさっきから鳴りどおしの腹を抱え、今日も金策に励むべくサルタバルタの草原へ出た。さすがに初日よりは彼の腕も上がり、最近では都より少し離れたところを狩り場にしている。主な獲物は兎や巨大な蜂、たまに野性の鳥。空腹で頭はふらふらするが、それを堪えて獲物の野兎に飛びかかる。
 ところが、この兎が思わぬ強敵であった。小柄な身体に似合わぬ屈強な脚力で反撃してくる。コウキは顔を何度も蹴られ、泥だらけになりつつようやく獲物を仕留めることに成功した。戦利品は小さな毛皮が一枚と、土のクリスタルが一個。それらを鞄に仕舞うと、どっと疲労感が押し寄せて来た。腹はさっきからぎゅるぎゅる盛大に鳴っている。空腹感で頭がふらふらして、気分が悪くなって来た。頭上の太陽は暖かい光を投げかけているが、逆にそれが気分の悪さを増しているような感じすらしてきた。
 ばたん。
 彼はその場に倒れてしまった。それも、冒険者としてモンスターにやられたのではなく、空腹に負けて。情けねえなあ…。ぼーっとした頭でコウキは考えた。腹が減って戦闘不能になった冒険者なんて、今までにいるんだろうか?かっこ悪…。
 地面に突っ伏しているからこそ聞こえたのだが、地面から何かの足音が聞こえて来た。軽快なあの音は、チョコボの足音だ。それも複数いる。その足音はまっすぐこちらに向かって来る。こんなとこ見られたら恥ずかしいな…。
 やがて、地面からではなくはっきりと足音が近付いて来るのが聞こえて来た。どんどん近付いて来る、どんどん…。すぐそばまで足音はやってくると、ぴたりと止まった。そのまま少しだけの静寂。鳥上の人物は戸惑っているかのように思えた。一拍おいて、チョコボとは別の軽い物音が聞こえた。チョコボから降りたらしい。ぱたぱたとコウキの方まで人物が近付いている。顔のすぐ近くにほっそりした足が見えた。また沈黙。しかし視線は感じる。
 後からもう一つのチョコボの足音が近付いて来た。それもやはりコウキの近くでぱたりと止まると、今度はそこから声が聞こえて来た。声音は子供のようだが、口調は落ち着いた大人のものだ。
「どうしたの、ルク?」
「あー…それが…」
頭上から女の声。
「行き倒れみたい」

 「ほんっっっっとうにありがとうございましたッ!!」
ウィンダス森の区のとある民家。コウキは目の前にどっかり座っているミスラの女性に深々と頭を下げた。
「ああ、いいのいいの。困ったときはお互い様だしねー」
女性は気さくに笑うと、手をひらひらさせた。
 チョコボに乗った二人組は、あの後ぶっ倒れていたコウキを親切にも街まで運んでくれて、手当てまでしてくれた。この民家は、ミスラの女性の「実家」なのだと言う。
「具合はすっかりいいみたいだね」
奥のキッチンから、いい匂いを漂わせる温かい料理と白パンを盆に載せて、タルタルの男性が出て来た。彼もコウキを助けてくれた一人だ。
「競売に出した残りものだけど、温め直したから遠慮せずに食べてね」
コウキの目の前に、赤い色をした煮込み料理と、白パンがいくつも積まれた小皿が置かれた。皿から漂って来る料理の匂いに、思わず腹が鳴る。
「どうぞ、召し上がれ」
「い、いっただきまーっす!」
もちろん遠慮などせず、コウキは初めて見る料理にむしゃぶりついた。
「おいしいでしょ?セラルは調理スキルかなり上げてるからね〜」
なぜか自分のことのように自慢気に話すミスラ。当の本人は傍らでウィンダスティーをすすりながら、コウキの食べっぷりを微笑ましく見守っている。
「んめぇっ!これ、何て料理っすか?」
「ナヴァラン」
にこにこと、「セラル」と呼ばれたタルタルが答えた。
「こんなにうまいの、初めて食べたっス!」
「それは良かった」
 ほどなくして、コウキは目の前の料理を残さず平らげてしまった。
「ごちそーさまでした!」
「お腹空いてたのねぇ〜」とミスラが笑う。
「あの、助けてもらって本当にありがとうございました!お二人がいなかったら、オレ、今ごろは死んでたと思います」
「気にしなくっていいってば。あたしたち、たまたまあそこを通りがかっただけだしね」
うんうんと頷くタルタルの男性。
「オレ、コウキっていいます。よかったら、名前を教えてください」
「ああ…あたしはルク・パンジャニ。フルネームは長いからルクでいいよ」
「僕はセラルファラル。ルクと二人で冒険者をやってる」
コウキは目の前の冒険者二人組を、憧れを持って見つめた。歳は自分とあまり変わらないようだが、冒険者としてのキャリアは明らかに二人はずっとずっと上だった。
「ね、君、冒険者始めたばっかりでしょ?」
ルクがコウキの顔を覗き込んで来た。
「は、はい。でも、毎日金策ばっかでうまくいかないっす…」
「まあ、確かに初心者の頃は金策大変よねぇ」
「今でもルクはお金に苦労してるじゃない」
セラルが笑う。言われたルクはちょっとむくれたが、すぐに気を取り直して、「ああ、そだ!」と両手を打った。
「よかったら、あたし達がレベル上げつき合ってあげよっか!」
「え?え?」
困惑するコウキを後目に、ルクは妙案とばかりにセラルと相談しはじめた。
「あたし、侍はちょっとやっただけで放置してあんのよね。セラルは何かいいジョブない?」
「そうだね…そういえば赤がちょうどいいかな」
「あら、あんた赤は上げてなかったの?意外ー」
「あ、あの…助けてもらった上にそれは申し訳ないっス…」
「いいのいいの!ついでにあたし達が冒険者としての心得を叩き込んだげる!」
うろたえるコウキに、実に穏やかにセラルが言った。
「いいんだよ。僕達、目的があってウィンダスに帰って来たわけじゃないしね。遠慮しないで」
 こうして、コウキは先輩冒険者二人に教えを乞うことになった。

 翌朝。待ち合わせ場所は森の区の噴水前だった。そこならコウキだって知っている。競売近くの、一番人通りが多いところだ。
「おっはよーっ」
ルクがコウキの姿を認めると、元気良く手を振った。彼女の声に、その隣に座っていたセラルも手を振る。
「お、おはようございますっ」
二人とも初心者用の装備に着替えていたが、明らかにコウキよりも場馴れした雰囲気だ。
「さーて、特訓を始めますか」
ルクがにやりと笑って自分の生徒を見回す。
「あたし達の特訓は厳しいからねー。覚悟しておいた方がいいよ?」
彼女の言い方がおかしかったのか、傍らのセラルがくすくす笑い出した。
「は、はいっ」
「じゃあ、今日は三人だし、タロにでも行ってみようか」
 セラルの言う「タロ」とはタロンギの峡谷の略だった。未だコウキが狩り場にしたことのない土地だ。三人は東サルタバルタをまっすぐ北上し、途中絡んで来たモンスターを狩りつつ、結構な時間をかけてタロンギに到着。そこから経験豊富な二人を先導に、適当な強さのモンスターを獲物に狩りを開始した。弁当はセラルが作って来てくれた、黒兎のグリル。何でも特別良く焼けた野兎のグリルなのだそうだ。魔道士である彼自身は、お手製のアップルパイをかじっていた。
 コウキに取っては、初めてのパーティだ。一人では歯が立たないような相手でも、パーティを組んで役割を分担しながら戦うと勝てる、ということを彼は身をもって知った。盾役を任されたコウキが敵を殴りつつ挑発で敵の気を引きつける。その間にルクが手に持った両手刀で殴りつけ、セラルがケアルで体力を回復させたり精霊魔法を敵に打ち込んだりする。ルク曰く、「前衛はみんな後衛を守って戦うべき」なのだそうだ。自分一人のことだけを考えていては、必ずパーティが壊滅する。そして、後衛も後方から前衛を援護したり敵にダメージを与えたりする代わりに、前衛のことを考えないで行動するのはよくない、と、これはセラルの弁だ。コウキは挑発のタイミングやウェポンスキルの発動にいたるまで、徹底的にルクから教え込まれることになった。
 それだけではない。あまりに頼りない初心者を見過ごせないのか、二人は彼に金策の基本まで教えてくれた。
「ちょっとちょっと!何でダースでたまったクリスタル捨てちゃうのよ!?」
「え…だってこれ、店に売っても安いし…」
「あんた店に売ってんの!?競売にクリを出すのは初心者のお金稼ぎの王道でしょ!?」
「ええ!?そうなんスか?」
一方、セラルからは合成をすすめられた。
「僕が調理上げてるのは、冒険者になる前からの趣味なんだけどね。でも、冒険者って身体を張った仕事だから、食事には人一倍気を遣わなきゃならないよね。前衛だったら肉や魚を食べた方がいい時が多いし、僕みたいな後衛だったら、疲れがとれて精神集中しやすくなる甘いものを食べることが多い。どちらにせよ、食べ物を競売で買うと割高になることが多いんだ。だから自炊するのは意外と経費が浮くよ。作ったものを出品すればそこそこお金になることもあるしね」
「ほえぇ…」
「あ、でももちろん調理じゃなくてもいいんだよ。薬品が作れる錬金術でもいいし、材料費がうんとかかるけど鍛冶や彫金なんかでもね。他にもスキルはあって、それぞれに需要があるんだから」
 こうして、二人に丁寧に教えてもらったおかげで、何とか冒険者として形になってきた。少なくとも本人はそう思えるようになった。それから数日が経ったとき、いきなりルクが思いがけない提案をした。
「ねね、今日はマウラまで行ってみない?マウラ入り口辺りでキャンプ張ったら、そろそろダルメルも行ける頃だと思うんだけどー」
この提案に、コウキは思いっきりどきりとした。心臓の音が二人に聞こえてしまったんじゃないかと思うほど。
「いいね。マウラの入り口ならすぐに逃げ込めるし、行ってみようか」
セラルまでそれに賛同するので、コウキは慌てて異を唱えた。
「でででも!もうダルメルなんてやれるんスか!?まだ早いんじゃ…」
「えー。そろそろ適正だよ?」
「そうだよ。新しい狩り場に行ってみたくないの?」
二人そろってマウラ近くでの狩りをすすめるので、結局抵抗できないまま、三人はウィンダスからマウラまでの旅を始めることになってしまった。
 サルタバルタを抜け、タロンギの東部からブブリム半島へ。サルタバルタの豊かな草原と一変し、タロンギからブブリムは荒涼とした岩と砂が続く。コウキにとっては懐かしいような光景だ。風は強く吹いて、道行く者の頬に容赦なく砂粒を叩きつける。ブブリムに生息しているモンスターは、これまでよりも一段と強いものばかりで、三人は時に岩陰に潜んで敵をやりすごしつつ、ブブリムを南下してマウラを目指した。か細い街道が目の前にうねりながら伸びていて、やがてまっすぐ南を目指し始めた。その終着点は、あのマウラの街だ。その頃には、三人の傍らを野性のダルメルが何頭もゆったりと歩いているのが見えた。彼らは、こちらから手を出さない限り危害を加えることのない、穏やかな草食動物なのだという。
 「もう少しだよ。入り口が見えて来た」
セラルが前を指さした。向こうには、木で作られたアーチの門が立っている。
「着いたら少しマウラで休もうか」
そんな提案をセラルがするので、またもコウキの心臓はどきりと鳴った。
 ほどなくして三人はようやくマウラに到着した。コウキが出ていった時と何も変わっていない、穏やかでゆったりとしていて、そして少し退屈な街並み。ふとルクが後ろを振り返った。コウキ一人だけが街の出入口で何やらもたもたしている。
「どしたの?入らないの?」
「え、えっと…それが…」
「何か忘れ物でもしたの?」
「いえ…違うっす…」
「なら早く」
コウキはしばしそこでもぞもぞしていたが、やがて思い切って打ち明けた。
「マウラは…オレの故郷なんス」

 マウラで一軒しかない船乗りの宿の扉が開いた。この街でよく見かける冒険者風の客だ。
「あら、いらっしゃ…」
女の従業員の挨拶が途中で止まった。一番後ろからおずおずと入って来た男の客に見覚えがあった。
「コウキ!あんたもう挫折して…」
「こんにちはぁ〜」
先頭のミスラの女が愛想良く頭を下げた。
「あたし達、コウキくんとパーティを組んでるんです。こちらにお母さんがいらっしゃると聞いて、ご挨拶に伺いましたぁ」
ぺこりとルクが頭を下げる。コウキの母はやや不意打ちをくらったような顔をして、
「あ、あら、そうだったんですか。私はてっきり息子が冒険者を辞めて帰って来たのかと思いましたよ」
「あたし、ルク・パンジャニといいます」
「僕はセラルファラルです。ウィンダスでコウキくんと知り合ったんですよ」
「まぁ…コウキはあんなんだから、足手まといでしょ?不出来な息子だけど、仲良くしてやってちょうだいな」
 母は、二人のためにさっそく部屋を手配してくれた。コウキも宿に部屋を取りたかったのだが、「せっかく里帰りしたんだから、実家に止まりなよー」というルクの反対で却下された。それでも食事は三人一緒にとることになった。
「せっかくだから、しばらくここに逗留して狩りをしようと思うんだ」
夕食の席で、セラルがそう提案した。レベルとしてもキャンプ場所としても、ここでしばらく稼げるという。
「そーねー。せっかくコウキの故郷に来たんだし」
にやりとルクが笑う。コウキは自分の家族を見られた恥ずかしさでうつむいてしまった。
「いいお母さんじゃない。大切にしなよー」
「うう…ああ見えて、かなり乱暴な親なんすよ…」
「いいじゃない、息子思いなんだよ」
 というわけで、コウキ達は連日マウラの入り口にキャンプを張って、ダルメル狩りに励んだ。必要な物資はマウラで補給できる上、危険を感じたら街にすぐに逃げ込むことができる。たまに辺りをうろつくゴブリンも獲物に混ぜつつ、三人は調子よく狩りが出来た。
 マウラ逗留四日目の夜。コウキは夕食の後、釣竿を持ってぶらりと港に向かった。見慣れたマウラの海。街の灯火にほの暗く照らされた灰色の波が、とぷんとぷんと音を立てて打ち寄せている。磯の香りがつんと鼻孔に突き刺さった。彼は一人岸に腰かけて、釣竿にエサを仕掛け、海に投げ入れる。考えてみれば、小さい頃はよく釣りをして遊んでいた。荷降ろしの仕事に就いてからは、ほとんどしなくなってしまったが、冒険者になってからはまた再開したのだ。
 とぷんとぷんという波音をBGMに、コウキはぼんやりと釣糸を垂れていた。この街で暮らしていた時が十年も昔のことのように思われた。
「やあ、眠れないのかい?」
声に振り返ると、セラルが宿からこちらに歩いて来るところだった。
「あー、ども」
彼はちょこんとコウキの隣に座った。
「よく釣れる?」
「いや、まだ何も釣れてないっす」
コウキが苦笑する。釣糸は波間に漂っているが、ぴくりとも動かない。
「…ルクはもう寝たよ」
少しだけ声を潜めてセラルが切り出した。
「これは早めに言っておかないとね。…ちょっと残念なことになったんだ」
コウキは怪訝な顔でセラルの顔を見た。真剣な、しかし少し沈んだ表情で彼は波を見つめている。
「さっき、僕とルクの知り合いから連絡があったんだ。僕達にお手伝いを頼みたいそうなんだ」
「お手伝い?」
「うん。HNMのね」
「H…何スか??」
「ハイレベルノートリアスモンスター。要するに、ものすごく強くて、大人数でしっかり作戦を立てないと勝てないモンスターだよ」
コウキの頭に、城のように巨大で、火を吹きながら暴れ回る恐ろしげなモンスターの姿がぼんやりと浮かんだ。実際どういうものなのかは知らないが。
「人手が足りないから、僕とルクにどうしても手伝ってほしいんだって。でも、そうなると君を放って行かなきゃならない。断わりたかったんだけど…僕達がとてもお世話になった人からの頼みなんだ。断わり切れなかった」
彼は相変わらず海を凝視したまま、言葉を紡いだ。
「本当なら、そろそろ船に乗ってセルビナに行こうかってルクと話してたんだ。そして、出来るならサンドリアかバストゥークにも行ってみたかった。…でも、僕達は明日の朝、ジュノに戻らなくちゃいけなくなっちゃった。…ごめんね」
コウキは絶句した。もうしばらく二人と一緒に冒険できるものと思っていたのだ。突然の幕切れに、言葉がなかった。
「…ル、ルクさんには…?」
セラルは力なく首を振った。
「まだ知らせてない。この後、起こしてでも知らせないとね…」
そして、コウキの顔を見ると、
「僕は本職が黒魔道士だから、デジョンIIで君をホームポイントまで送ってあげられるよ。ホームポイントはどこに設定してる?」
「ウィンダスっす…たぶん」
セラルは頷くと、
「僕達の出発は明日の朝。朝になったら君を送ってあげるね」

 翌朝、コウキが宿を尋ねると、すでにセラルの姿はなかった。黒魔道士に着替えに戻ったらしい。
「お母さんには、今日のこと伝えた?」
ルクの言葉にコウキは頷いた。「そっか…」とルクがつぶやく。沈黙が降りた。
 そこへ、支度を整えたセラルが戻って来た。初対面の時の、立派な仕立てのローブを身に纏っている。
「それじゃ、まずルクから行くよ」
「ほーい」
精神を集中させて、セラルが黒魔法の詠唱を始める。彼が魔法を開放させると、ルクの身体が真っ黒な光に包まれて…光と同時にルクの姿も消えていた。
『セラルー、D2ありがとー』
セラルの持っているリンクパールから、ルクの陽気な声が聞こえて来た。もう彼女はジュノにいるんだそうだ。
「じゃあ、次は君を」
セラルがコウキに向き直った。コウキは鼻の奥がつんとするような感覚を感じた。
「…ほんとに、ありがとうございました」
セラルが黒魔法を詠唱し始め、目の前がいきなり真っ暗になった。驚いて目を閉じて、そしてそろそろと目を開けると、そこはウィンダスの水の区だった。
『コウキー、また会おうねぇ〜!』
手に持ったリンクパールから、ルクとセラルの声が聞こえて来た。
「はい、はい…」
泣きそうになるのを、彼は必死でこらえた。

 それから数日。コウキは相変わらずウィンダスでのんびり冒険者生活をしていた。ルクやセラルと組んでいた時よりはずっとペースは落ちたが、何とか冒険者としてやっていくだけの事は出来るようになった。
 「ただいま〜」
今日も一日の狩りを終え、モグハウスに帰る。相変わらず殺風景な部屋だが、帰って来ると気分が落ち着くから不思議だ。
「おかえりなさいクポ〜」
モーグリがいつものように出迎える。今日の戦利品をモーグリに渡し、「これ、金庫に仕舞っといて」と頼む。
「はいはい。あ、それからご主人様。ポストに何か届いてるみたいクポ〜」
「ポスト?」
さっき出品して来たばかりのクリスタルがもう落札されたのだろうか。首を傾げながら、ポストのチェックをモーグリに頼んだ。
「ご主人様、お知り合いらしい人から何か届いてるクポ!何だかいい匂いがするクポ〜」
「いい匂い?」
モーグリから受け取ったのは、茶色の箱だった。床に座って、包みを開けてみる。
「あ…」
箱から出て来たのは、皿に盛られた煮込み料理…。
「ナヴァランクポね」
横から覗き込んで来たモーグリが呟いた。急いで、包みに付いていた送り主の名前のタグを取り上げると、本来一人分しか書けないはずの名前欄に、無理矢理二人分、
 セラルファラル
 ルク・パンジャニ
と書かれてあった。
 ちょっと鼻の奥がつんとして、コウキはモーグリの方を振り返った。
「これ、温め直してくんないかな?」
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