斧と長剣

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 南サンドリアの居住区入り口近くに店を構える居酒屋「獅子の泉」。出される料理は質素なものしかないが、何より名物のアクアムスルムが客に好評であり、それ目当てに訪れる客も少なくない。
 その「獅子の泉」も、今夜はことのほか賑やかであった。というのも、サンドリアのコンクェスト一位を祝して、店主がいつになく豪華な食事と飲み物をふるまっているからだった。最近は材料の蜂蜜が手に入りにくいから、という理由でなかなか店に並ぶことの少ないアクアムスルムまで、今日の客は思う存分味わうことが出来た。

 祝勝ムードと豪華な食事に賑わう店内で、一際目を引く集団が一つ。
 五、六人の冒険者らしい風体のエルヴァーンの男女。彼らもまた勝利と酒に酔っているようで、この賑やかな店内においてさえ、その話し声はいやが応にも耳に入って来る。それよりも目を引くのは、御世辞にも上品と言いがたい彼らの態度だ。人目も憚らずテーブルの上で足を組み、大声で笑い声を上げる者。肩がぶつかったとか、そんな些細な理由で隣の客とあわや喧嘩の騒ぎを起こす者。周りの客は、いつしかその集団から距離を置くようにして銘々の食事を楽しむようになっていった。
 「おい親父、アクアムスルム一本追加な!」
例の集団の紅一点である女が、店主に向かって空になった瓶をひらひら振って見せる。先ほどからその様子を見ていた店主は、溜息を一つついてから注文の準備を始めた。
 栄光あるサンドリアの名を背負うものとして、あまりに情けない。
かつては神殿騎士として王都の治安を守って来た店主は、その下品な素行を情けなく思いながら、注文のアクアムスルムを給仕に渡すと、いかにも嘆かわしい、という風に小さく頭を振った。
 追加でオーダーしたアクアムスルムがやって来ると、女は店主の様子など一向に気にせずに、再び料理と酒に取り組み始めた。
「しかしまぁ、コンクェスト一位だの何だの、結局は俺たちが身体を張って獣人どもと渡り合ってきたお陰じゃねぇか」
集団の中の男が酔った目で隣の男に同意を求める。
「…そのくせ、一位になったからって威張るのはお偉い騎士様や聖職者様、だろ?」
返事をしたのは、先ほどの女だ。エルヴァーン族に多い、薄い金色の髮。薄い褐色の身体はエルヴァーンらしく細身ではあったが、鍛えられたしなやかさを併せ持っている。金属のプレートとチェーンで拵えられた鎧を纏い、どっかりと足を組んだ行儀の悪い姿で椅子に腰かけ、さっきのアクアムスルムの瓶を片手でつかんであおっている…店主が嘆くのも無理はない。
「お、おう」
男はその様子に気圧された様子で頷く。
「大体、一体誰がこの国を守ってやってると思ってるんだい?アタシら冒険者じゃないか。バストゥークやウィンダス、果てはジュノくんだりまでサンドリアが威張れるのは、アタシらが国の看板を背負って駆けずりまわってるお陰じゃないか。それを…」
女は手に持った瓶をぐびり、とあおる。意外と華奢な喉がごくり、と動いた。
「やれコンクェスト一位だ、サンドリアの栄光だの威張るのはお偉い連中ばかり。冗談じゃないね。この国が、騎士どもの頼りない剣や坊さんのお祈りで守れるとでも思ってるのかねぇ?それならとっくにオークどもは尻尾を巻いて北の国に帰ってるさ」
周りの男たちも気圧されたように女の顔を見守っている。アクアムスルムはブドウ酒に蜂蜜を落とした程度のもので、あまりアルコール度数は高くないはずだが、今日はいつもよりたくさん聞こし召したようだ。女の顔はほのかに上気し、目は酒気でやや潤んでいる。
「お、おい…」
「そうさ、女神様が何だい。偉そうに高いところからお説教しているお坊様に、アタシらの何が分かる?そんな奴らのありがたい教えなんて、アタシは信じないね。女神様が本当にいるなら、実際お目にかかりたいもんさ…」
「おい、いい加減にやめとけって、フィアンヌ!」
男の一人が、急に酔いが醒めたような顔で慌てて女を制した。
「そんな事、神殿騎士に聞かれでもしたら、異端諮問は免れないぞ…」
フィアンヌと呼ばれた女は、酔った目を男に向けた。
「ああん?異端諮問が何だって言うんだい。呼ばれれば言ってやろうじゃないか」
「いい加減やめろ…!」
他の男たちも彼女を制そうとした時だった。
「ほう、なかなか面白い事を言いますね」
知らない声が頭上から振って来た。
 酔っ払った顔でフィアンヌが見上げると、そこには白いプレートメイルを身に纏った、見知らぬエルヴァーンの青年が立っていた。
「しっ、神殿騎士…!」
引きつった声を上げ、他の男たちが腰を浮かせて逃げようとするのを、青年は片手を挙げて制した。
「ああ、席は立たなくて結構ですよ。私が話をしたいのは、そこのご婦人です」
「ご婦人、ねぇ…」
呼ばれたフィアンヌ自身が小さく鼻で笑う。
「失礼ですが、あなたはフィアンヌさんと仰いましたか?」
「そうだけど?」
騎士の登場にも全く動じるどころか、逆ににやにやしながら相手を見据えるフィアンヌ。人によっては、挑戦的とも取れる態度だろう。しかし、青年はあくまで慇懃な態度を崩さなかった。
「とするなら、冒険者の間で『岩砕きのフィアンヌ』と呼ばれている方ですね?数々の功績を上げ、王立騎士団にも神殿騎士団にも何度か推薦されながら、その素行の悪さでその度に立ち消えになっているという…」
「あんた、アタシに何の用なんだ?」
慇懃無礼な青年を不審そうに見上げる彼女。笑みを含んだまま、青年は続けた。
「ああ、これは失礼。私はアジュルノー、神殿騎士団で従騎士の任を頂いております」
ふわり、と青年が丁寧に礼をする。彼はフィアンヌに向き直ると、こう続けた。
「あなたが名高い『岩砕きのフィアンヌ』であるなら、是非お頼みしたい事があるのですが」
「お偉い騎士様が、素行の悪さで有名なアタシに一体どんなお願いごとかしら?是非お聞きしたいものですねぇ」
意地の悪い笑みを浮かべて、フィアンヌが答えた。
「是非あなたに折り入って…申し訳ないが、外までご足労願えますかな?」
 アジュルノーと名乗った青年の申し出に、同じテーブルの男たちは一様にフィアンヌに不安そうな眼差しを向けた。「行くな」とその目が訴えている。外には他の神殿騎士が、彼女を捕らえようと待ち受けているかもしれないのだ。
「ああ、いいともさ」
しかし、当の本人はけろりと返事して、酔いでややふらふらしながら立ち上がり、傍らの壁に立てかけてあった愛用の両手斧を背負う。
「んじゃ、行ってくるわ」
心配そうな仲間にひらりと手を振ると、フィアンヌは青年の後に続いて店を出た。

 一様に大人しくなった仲間たちを残して、「獅子の泉」のドアがぱたん、と音を立てて閉じた。


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