どれくらい斧を振るっただろう。どれくらいケアルを詠唱し、盾で二人の身をかばったのだろう。
二人とも、あまりそこからの記憶がはっきりしなかった。洞窟の入り口で受けた傷が祟ってか、フィアンヌの動きは精彩を欠いていた。そしてそんな彼女を庇うように動くうち、いつしかアジュルノーの体力も底を尽きかけていった。
はっきりと彼が記憶しているのは、ある時、忽然と目の前にわずかな血路が開いたことだけだった。反射的に彼は、その血路へ向かって猛然と女の手を引いて走り出したのだ。
オークどもは鼻が利くから、奴らの追跡を巻くには水の中を通って自分の匂いを消して走れ。昔、上官からそう教わった事がある。だからなのか、無意識に小川の中を走っていたような気がする。
「下ろせ!下ろせったら!このアホが!!」
ああ、そう言えば、そう怒鳴られながら走ったっけな。ぼんやりしながら、彼はフィアンヌの怒鳴り声を思い出して苦笑した。
「笑ってる場合かよ。まだダボイのど真中なんだぜ」
今度は生身のフィアンヌの声が降って来た。アジュルノーが薄目を開けると、目の前に傷だらけの女の顔があった。礼儀正しくしていれば、貴婦人にも劣らぬ容貌をしているのに…。何と勿体無いことか。再び彼は苦笑した。
「…お前、途中で頭でも打ったのか?」
フィアンヌが呆れたような表情をした。そういえば、川の中を走って逃げるときに、思わず彼女を抱き抱えて逃げたのだった。
「…ここは…どこだ…?」
あちこち痛む身体を抱え、彼は上半身を起こしてみた。目の前には川。周りは岩壁になっており、ちょうど辺りからは死角となる場所に二人はいた。傍らにはフィアンヌがどっかりと座っている。周囲には、彼女が治療に使おうとしたらしい、空の薬瓶がいくつか散らばっていた。見たところ、フィアンヌの方は大した怪我ではないようだ。
「さあな。ダボイのどっかって事は確かだ」
素っ気なく答えるフィアンヌ。どっかりと座ってはいるが、その姿は、どこから現れて来るか分からないオークへの緊張に漲っているように見えた。
「孤立無援とは、まさにこの事か…」
口の中でアジュルノーがつぶやいた。オークどもは、まだ二人を探して辺りをうろついているだろう。下手に動けば奴らに見付かりかねない。かと言って、このままここで座して死を待つわけにもいかない。
「なあ」
フィアンヌが話しかけて来たので、彼は彼女の方を見た。彼女は座ったまま、首だけをこちらに向けている。その目は真剣だ。
「アタシらの仕事は、依頼者の事情に深く突っ込まない事がルールだ。…だけどさ、こっちも身体張って仕事してんだ。お互い、ある程度の信頼関係は必要だろう?アタシの言ってる意味、分かるかい?」
アジュルノーが素直に頷く。
「なら、全部話してもらおうか。この仕事、どうも隠し事が多過ぎる」
彼はふぅっと大きく息をついた。
「お見通しですか…」
座り直すと、彼はゆっくりと話し始めた。
「確かに私は、神殿騎士団で従騎士を勤めていました。…三日前まではね」
フィアンヌは黙って彼の顔に視線を向けたままだ。別段驚いた様子はない。
「今から一週間くらい前の事です。私はその日の夜、勤務から帰る途中でした。そしてそこで、酔漢に絡まれている子供を見付けたのです」
神殿騎士としては、そんな現場を見過ごす訳にはいかない。当然のように彼はその場に割って入った。
「しかし、相手は強かに酔っていて、全く私の話を聞こうとはしてくれませんでした。しまいには私に殴りかかる始末で…その…」
ちょっとバツが悪そうにしながら、彼はつぶやくように言った。
「…私の方も身を守るために応戦してしまったのです。…そして、力加減が出来ずに相手を強かに殴ってしまった」
その場は男が逃げたことでおさまった。
「しかし、その酔漢が問題だったのです。私は知りませんでしたが、彼はさる貴族のご子息だったらしい。彼の父君は、よりによって王都の治安を守る神殿騎士がご子息に怪我をさせたとお怒りになったそうです」
フィアンヌは苦笑した。
「その貴族のご子息とやらの方が、よっぽど問題なんじゃないかい?酔っ払った挙げ句に子供に絡むなんてさ」
「ええ…。常識から考えれば、そうでしょうね。でも、貴族社会とはそれだけでは通らないものなのですよ」
ならば、自分には貴族生活は一生無理だと思うフィアンヌであった。
「私が団長から呼び出されたのが三日前。貴族に怪我を負わせた咎で、私は免職を言い渡されました」
アジュルノーは深い嘆息をついた。
「…ショックでしたよ。騎士になる事は、私の両親…殊に父の夢でしたから。しかし、私は自分の軽率な行動でそれを全て無為にしてしまった。何と自分は愚かなのだろうと…。そして、街中をさまよって、気が付いたらあの『獅子の泉』にいました」
そして、彼はそこでフィアンヌを見付けたのだ。
「その時、数日前に聞いた作戦書の話が頭に浮かびました。今もなお、王立騎士団が探し求めながら、未だに見付からない極秘文書のことが、ね」
「なるほどね。そいつを見つけ出して手柄を立てて、騎士団に復帰しようって腹かい。都合よく、アタシの弱味を握ったことだしねぇ」
アジュルノーはただ黙って苦笑して、否定しなかった。
「ついでにアタシは素行の悪さで有名。使い捨てにするには好都合って訳かい」
「それは違います。私は、例え相手がオークだとしても、人を使い捨てにしたりはしません」
鋭くアジュルノーが否定した。その真剣な眼差しに耐え兼ねたように、フィアンヌは視線を逸した。
「まあ…大体話は分かった。今の話で合点が行くしな」
「しかし、本当に申し訳ない事をした。今お話したように、今回の事は、全て私の独断であり、私の責任なのです。なのに、あなたを巻き込んで、危険な目に遭わせてしまった。…あなた一人なら、今からでも逃げられるでしょう。逃げてください」
「はあ?アタシだって、冒険者だ。プロなんだよ。手負いの依頼者を置いて自分だけ逃げられるかよ」
「…私は…あなたを失いたくないのですよ」
その言葉に、フィアンヌは相手の顔をまじまじと見た。彼は微笑している。
「あんた、まさか…」
その言葉にも、彼は微笑を崩さなかった。はああ〜…と大きく溜息をついてから、彼女は
「お前、やっぱりアホだろ?」
「そうアホだアホだと言わないでくださいよ。私だって傷つきます」
アジュルノーが苦笑する。
フィアンヌはもう一度大きく溜息をついてから、こう言った。
「…その話はとにかくだ。助けを呼ぶか。間に合うかどうか分からないけどね」
「心当たりは、あるのですか?」
「あることはあるさ」
言いながら、鞄の中にリンクパールを入れてあることを思い出した。仕事の邪魔になるからと、リンクは切ってあったのだが。
鞄の中をごそごそと探ると、パールはすぐに見付かった。澄んだ緑色の小さなパール。リンクを入れてから、彼女はパールに向かって話しかけた。
「リジィ、おいリジィ、いるんだろ?いるなら返事しな」
『ん〜〜?その声…姐さんなの〜?』
パールから、舌っ足らずな少女の声が聞こえて来た。リジィの奴、寝てやがったな。フィアンヌは心の中で苦笑した。
「そうだ、アタシだよ。リジィ、助けがいるんだ。すぐ準備して来れるだろ?」
『え〜〜…姐さん、今どこにいるの〜?』
「ダボイ」
『え〜え〜。あたし、今ウィンにいるんだよぉ〜。すぐになんて来れないよう〜』
「あんた白だから、テレポ使えるだろ。すぐに準備して五分で来るんだよ!」
『んもぉ〜姐さんいっつも強引なんだからぁ〜』
「待ってるから、早く来なよ!」
ぶつん、と彼女はリンクを切って溜息をついた。ああは言ったものの、果してリジィがいつ来るのか…。
「行こう。ここでじっと助けを待ってるわけにはいかない」
少し休んだお陰で、アジュルノーの体力も少し戻って来ていた。フィアンヌの方も、まだ元気は残っている。二人は痕跡を消すために、散らかっていた薬瓶を集めて、オークの目に付かないようにまとめて捨てた。その後、辺りをうかがいながらそろそろと移動を開始した。
フィアンヌが肩を貸しながら、二人は慎重に川の中を進んだ。陽は早くも傾き始め、西の方(と思われる)の空が少しずつ赤く染まっていった。時折、二人を探しているらしいオークたちの騒ぐ声が、彼らの耳にも遠く届いて、二人の逃亡者を緊張させた。彼らの他には、狩りに来ている冒険者の気配もない。
しばらく歩いた頃、フィアンヌが「あっ」と小さな声を上げて立ち止まった。何ごとかとアジュルノーが顔を上げると、遥か前方にオークの掲げる松明の火が見えた。振り返ると、後方にもちらちらと松明の火が見える。あれは、きっと冒険者のものではないだろう。フィアンヌが手負いの獣の如き目をして、ささっと辺りを見回した。両岸とも高い岩壁になっていて、よじ登らない限りそちらへ逃れることは無理そうだ。
「ちっ…万事休すか」
アジュルノーに、岩壁をよじ登る体力が残っているとは思えなかった。そうこうする間にも、前後の灯りが徐々に近くなって行く。
「…戦いましょう、フィアンヌ。エルヴァーンの誇りにかけて」
アジュルノーが彼女の肩から離れて、剣を抜いた。
「アタシはアタシの誇りにかけてやってやるよ」
フィアンヌも斧を構えた。
やがて、松明を持ったオークの一群が見えて来た。背後からも同じようなオークたちがやって来る。先頭に立っていたオークが、片手に持った松明を掲げて唸った。それは獲物を見付けた歓喜の咆哮にも聞こえた。
二人はちらと目配せすると、オーク達が身構えるよりも先にその集団に突っ込んでいった。
「うおぉおおぉおッ」
華奢な女の身体のどこからこんな声が出るのかと思うほどの大音声で、フィアンヌが先頭のオークにぶつかって行く。突撃された方は、思いも寄らぬ一撃によろめいた。その隙を逃さず、女戦士は両手斧を敵の脇腹に叩き込んだ。深々とオークに突き刺さった斧は、その一撃だけで致命傷を負わせていた。
「『岩砕きのフィアンヌ』をなめるんじゃないよッ」
フィアンヌが吠え、次の獲物に飛びかかった。アジュルノーの方は無言で、しかし顔に悲壮な色を浮かべて長剣を振るう。
オークの集団は、ここまで苛烈な反撃を受けようとは思っていなかったようだ。二人の迫力に気圧されたように浮き足立つ。今もまた、フィアンヌの斧に打ち倒されたオークが、水しぶきを上げて川に仰向けに倒れ込んだ。彼女が『岩砕き』という二つ名で呼ばれているのは、元々その怪力からであった。その戦斧の一閃で、巨大な岩さえ砕かれる…。そんな少々大仰な噂が、彼女をしてそう呼ばしめているのだ。今悲壮な覚悟で振るわれる戦斧は、まさに岩をも砕きそうな迫力であった。
「フィアンヌ!」
アジュルノーが鋭く叫んで、彼女に襲いかかったオークの斧からその盾で彼女をかばった。斧を弾かれたオークに、彼の長剣が深々を突き刺さる。
「フィアンヌ、後ろからも来てます」
青年の声で、フィアンヌはちらと後ろを振り返った。確かに背後のオークの一団が、すぐそばまで迫って来ていた。
「あっ、あいつは…」
背後の集団、その先頭にあの隻眼のオークがいた。口元に粗野な笑みを浮かべ、両手持ちの杖を構えている。素早くアジュルノーが走り寄り、オークへ向けて盾を振り下ろした。ガキン!と音がして、盾は隻眼のオークに命中する。呪文を詠唱中だったオークは、不意を付かれてよろめき、詠唱をやめてしまった。
ざっと見て、残りのオークは十体ほど。しかし、こちらの体力がもつかどうか…。アジュルノーはそう戦局を判断した。また、オークに加勢が来ることも考えられる。背中合わせに戦うフィアンヌは、まだ阿修羅の如き活躍を見せている。敵は彼女の勢いに怯んでいるようでもあった。
戦ううちに、隻眼のオークが見えなくなった。おそらく味方に任せて自分は後方から戦況を見守っているのだろう。
「うりゃあああああッ」
フィアンヌからまたも気合いが吐かれ、斧が目の前のオークをなぎ倒す。彼女は返り血と自らの傷口から流れる血とで、赤く染まっていた。その姿は壮絶でもあった。
一方、アジュルノーはそんな彼女を庇うように戦っていた。獅子奮迅の活躍を見せる彼女は、一方ほとんど無防備であったからだ。盾を持つ左手は、度重なる衝撃でほとんど痺れて麻痺したようになっている。それでも彼は盾をかざすことをやめない。
「くそっ!リジィはまだか!」
興奮しているせいか、フィアンヌが大声で悪態をつく。その刹那、後ろからエアロの魔法が飛んで来て、彼女の背中に命中した。「ぐッ」とくぐもった声を上げ、彼女が前によろめいた。
その隙を、オークたちは見逃さない。すかさずニ、三体のオーク達がフィアンヌに飛びかかる。
「フィアンヌ!」
アジュルノーが悲鳴にも似た叫びを上げ、彼女の元に駆け寄り、長剣を振るって片手斧を振り上げていたオークの一体を屠った。
「フィアンヌ、気をしっかり持って!」
アジュルノーが呼びかけるが、彼女はその場に座り込んだままだ。彼は必死に彼女を庇いつつ、剣を振るう。彼女の体力と気力にも、もはや限界が近いのだ。彼自身、自分を叱咤しながらようやく戦えている有り様なのだから。
「フィアンヌ、早く立って!フィアンヌ!」
「くそ…」
弱々しくつぶやきながら、斧にすがって立ち上がろうとするも、膝に力が入らない。一旦切れてしまった緊張の糸は、なかなか元に戻ってくれそうにない。両腕ががくがく震えて、よく斧も握れない。頭上では、アジュルノーが必死に盾をかざして守ってくれているというのに…。
「アルタナよ!」
アジュルノーが女神の助力を請うように叫ぶ。やっぱりこんな時でも女神様を信じてるのか、こいつ。こんな状況なのに、フィアンヌは少し可笑しくなった。もう一度息を吸って、彼女は気力だけで立ち上がった。震える両手で何とか斧を握って、構え直す。そして、目の前のオークに再び斬りかかった。
闇雲に振り回した斧が、近くにいたオークの胴体に突き刺さった。呻き声を上げ、オークが倒れる。背中合わせのアジュルノーの長剣も、今一体のオークを斬り伏せたところだった。
「…あと、何匹いる?」
汗を拭いながら、彼女が素早く戦友にささやく。
「応援が来ましたからね。…でも、あと五体ほどです」
「…勝ち目はある、か…」
ふらふらしながらも不敵に笑うと、彼女はさらにオークの群に飛びかかった。敵が怯む間に、素早く一体を斬り伏せる。返す刃で、そばの一体も斬り伏せる。ひたすら夢中で斧を振るううちに、やがて最後の一体になった。
「お前は…」
荒い息をつきながら、アジュルノーがつぶやいた。最後に残ったオーク、それはあの隻眼のオークだった。
「……」
二人を睨みながら、隻眼のオークはじりじりと後退りした。不利だと睨んだのか。あわや逃げ出そうとするその瞬間、フィアンヌが思いっきりオークに体当りした。ぐえっという不様な声を上げ、オークがよろめく。
「…待てよ。聞かせてもらわなきゃならない事があるんでね」
荒い息を付きながら、フィアンヌが凄む。
「騎士団から奪った『暗号文』…どこに隠したのですか?」
アジュルノーが冷静に、だが有無を言わせぬ強い調子で刃の切先を突き付ける。しかし、オークは黙っている。
「言えって!」
フィアンヌも斧を突き付ける。二人から刃物を突き付けられ恐れをなしたのか、オークは渋々といった様子で口を開いた。
「………ワシが、…持っている」
「出せ」
短く鋭く、アジュルノーが命令する。ゆっくりとオークが片手を懐に入れ、革で出来た細長い入れ物のようなもを差し出した。
彼にしては珍しく、差し出された物をひったくるような勢いで取り上げると、素早く中身を取り出した。それは、一枚の羊皮紙だった。震える手で彼がそれを広げる。フィアンヌもちらりと覗き込んだが、見たこともないような記号の羅列、そしてサンドリア国旗にも描かれている二頭の獅子の意匠が見えた。
「…間違いない。これです」
アジュルノーが深い溜息をついた。フィアンヌも釣られて安堵の表情を浮かべる。
だが、その時に一瞬の隙が出来た。その隙を見逃さず、隻眼のオークは手に持っていた杖を振り回し、フィアンヌを突きとばした。油断と疲れで、彼女は後ろへよろめく。あっと声を上げたアジュルノーにも、鋭い杖の一閃が叩き込まれた。さらに出来た敵の隙に、オークは素早く呪文を詠唱し始めた。
「くっそ…こいつ…」
みぞおちに杖を叩き込まれたフィアンヌが、苦悶の表情を浮かべながら斧を持ち直す。肩を打たれたアジュルノーも、何とか踏み止まって盾をかざし、まさに呪文の詠唱中だったオークの首もと向けて、盾を強打する。「ぐっ」と呻き声を上げて詠唱を止めたオークの目は、今度は真っ正面から戦斧を振りかざしたエルヴァーンの女を捕らえた。
「うらぁぁぁ!」
気合いと共に、斧が振り下ろされた。怒りの一撃をまともに受けたオークは、そのまま川の中に後ろざまに倒れ、動かなくなった。
アジュルノーが大きく息を吐いた。達成感と共に、疲労もどっと押し寄せて来た。フィアンヌの方もそれは同じようで、荒い息を吐きながら、斧にすがってようやく立てている有り様であった。
二人の間に沈黙が流れる。お互い、同じ事を考えているはずだった。つまり…どうやってこのダボイから逃れよう?うかうかしていれば、再びオーク達に発見されるだろう。この状態では、とても先ほどのような奇跡的な生還は果たせまい。
どこからか、いきなり人の声のようなものが聞こえて来て、フィアンヌは文字通り飛び上がりそうな程驚いた。それは、自分の鞄の中から聞こえて来る。…まさか。二人は一瞬顔を見合わせた。彼女は急いで鞄からリンクパールを引っ張り出した。
『姐さん〜姐さん〜〜。あたし、ダボイに来たよぉ〜。どこに行ったらいいの〜?』
パールから聞こえて来たのは、やや舌っ足らずで、暢気な少女の声。可笑しさが込み上げてくるのを堪えながら、フィアンヌはパールに向かって返事した。
「リジィかい?ダボイの地図は持ってるよね?落ち合う場所を決めようか」
分かりやすい場所を教えると、程なく一人のヒュームの少女がやってきた。フードなしの黒地のチュニックに、ヒューム用のカスタムパンツ。栗色の短めの髮をちょこんと後ろで束ねている。彼女は、二人の姿を見ると暢気に手を振った。
「いたいた〜。お待たせ〜」
フィアンヌとアジュルノーは、川縁の岩陰に隠れていた。フィアンヌの方も少女の姿を認めると、彼女に向かって手を振った。
「遅かったじゃないか。危うく死ぬところだったよ」
「え〜〜これでも急いで準備してきたのにぃ〜」
リジィというヒュームの白魔導士は、二人にケアルを唱えて応急手当を施すと、フィアンヌに急かされてテレポでさっさと二人をホラの岩まで送ってくれた。
「…助かったよ、リジィ。ここからはチョコボがあるから楽に帰られる」
「私からもお礼を言いたい。本当に助かりました」
アジュルノーもリジィに頭を下げた。
「いえいえ〜いつも姐さんからこき使われてますから〜」
「………。リジィ、このお礼は何にしようかね」
「ん〜〜…あたし、最近錬金上げてるから〜〜」
「分かった。それじゃ今度、ポスト一杯にモルつる送っといてやるよ」
「わ〜い、やったぁ〜」
リジィの方は喜んでいるが、ポスト一杯のモルボルのつるを想像すると、いささか気持ち悪くなってしまったアジュルノーであった。
「さて、アタシ達はサンドに戻るけど、リジィはどうするね?」
フィアンヌが聞くと、リジィはちょっと考えてから、
「あ、錬金上げで思い出した〜。ギルド行って今日の納品見てこようっと〜。あたしバスに行くね〜」
「そうかい」
テレポルテとエスケプを駆使してバストゥークへ行くらしいリジィは、二人からちょっと離れたところで魔法を詠唱し始めた。そして、魔法が発動する寸前に、フィアンヌ達に手を振って消えていった。
残された二人は、ホラの岩近くのチョコボ屋からチョコボを借りて、あまり急がずにのんびりとサンドリアを目指した。リジィがケアルをかけてくれたとは言え、まだ身体のあちこちが痛んでいたし、何より疲労感がどっと押し寄せて来て、急いで王都まで戻る気にはなれなかった。
ゆっくりと戻って来たせいか、サンドリアの門の篝火が見え始めた頃には、夜明け前の一番暗い時間であった。二人は痛む身体を抱えて門をくぐり、ドラギーユ城までゆっくりと歩いていった。やがて東の空が白んで行く。
「…あなたにも、大変迷惑をかけてしまいましたね」
城の手前まで来ると、ゆっくりアジュルノーはフィアンヌに向き直った。
「これは、約束の報酬です。どうか受け取ってください」
そう言うと、彼はずっしりと重みのある、小さな袋をフィアンヌに手渡した。
「確かに受け取ったよ」
フィアンヌはちょっとそれを持ち上げて見せてから、それを鞄の中に仕舞った。
「…やっぱり、それを神殿騎士団に持っていくのかい?」
「ええ。そのために命を賭けたのですから」
広場の木立の間から、早起きの小鳥達が早くもさえずり始める。ふと広場の方を振り返ったフィアンヌに、アジュルノーが言った。
「私が本当に神殿騎士に復職できるかどうかは分かりませんが…。でも、あなたには結果をお知らせしましょう。数日かかると思いますが」
「そうかい」
「…それに…」
「ん?」
小首を傾げたフィアンヌに、彼は微笑みかけた。
「あなたから、まだ返事をもらっていませんからね」
ふっ、とフィアンヌは笑うと
「ま、それも考えといてやるよ。気が向いたらね」
アジュルノーは笑うと、彼女に向かって手を振って、城門へと歩き始めた。